映画『生きてるだけで、愛。』を観たけど・・・という話①

先日、公開されて3週間ほど経ったのちに『生きてるだけで、愛。』を劇場へ観に行った。

この映画を観る前の予備知識といえば、

・原作は本谷有希子である

・監督は劇場長編映画初監督で、これまでは主にCMやMVを撮っていた

・主演は『おとぎ話みたい』の趣里

これくらいのものだけど、ポスターをみる限り良さそうだし、個人的には山下敦弘監督『ハード・コア』や入江悠監督『ギャングース』と共に、11月公開の邦画の中で最も注目していた映画のひとつだった。それゆえに、けっこう期待もしていた。

それに、本谷有希子作品は『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の映画を観て、割と好きだったから、この『生きてるだけで~』もきっと自分に合うだろうと、特に心配はしなかった。

逆にいえば、『腑抜けども~』以外は本谷有希子作品と接したことはなかったのだが・・・

 

あらすじ

生きてるだけで、ほんと疲れる。鬱が招く過眠症のせいで引きこもり状態の寧子と、出版社でゴシップ記事の執筆に明け暮れながら寧子との同棲を続けている津奈木。そこへ津奈木の元カノが現れたことから、寧子は外の世界と関わらざるを得なくなり、二人の関係にも変化が訪れるが……。

                                                                                 (filmarks より)

 

さて、この作品は『勝手にふるえてろ』(の映画)と似た構造を持っている。

「他人と接することが苦手な若い女性が主人公」

             ↓

「挫折したり、ちょっとうれしいことがあったり。そんな中、勇気を出して一歩を踏み出したけど、やっぱりうまくいかない」

             ↓

「クライマックス、感情を爆発させて自分の思いを吐露する」

             ↓

「主人公に寄り添ってくれる根気強い男性と、新しい関係がスタートする」

             ↓

「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」

 

ざっくりいうとこんな感じなのだが、主人公の女性とその恋人の男性、物語の展開などは共通しているように思う。

しかし、なぜ『生きてるだけで~』は『勝手にふるえてろ』のような傑作となり得なかったのか。いや実は、『生きてるだけで~』を傑作として認識している人もいるだろうし、実際のところ、この映画をひたすらに批判するような感想は今のところ目にしていない。なので今回は私が矢面に立つことになった。

 

※以下、ネタバレあり

 

まず、『勝手にふるえてろ』と比較してどうだという前に、この映画だけ観て気になった点をいくつか。

・CM、MVとして観れば綺麗で印象的な場面

この映画、走っている場面が何度かあり、例えば青いスカートが揺れている様子をスローモーションにしたり、走りながら服を脱いだりする。これらの場面は確かに、「MVのカットとしては」美しい。しかし、映画の一場面として挿入されると、何だろう、違和感を覚えてしまうのだ。

映画というフィルターを外してみたときには、あまり画として「強くない」場面が、映画の中の一場面として登場すると、とても印象的になることがある。

『生きてるだけで~』では、「画としては強くないが印象的な場面」はあまりなかった。むしろ「画として強いわけではなく、かといって印象的でもない場面」と、先述の強烈な場面「しか」ないため、映画としてバランスが悪くなってしまったのだ。その強烈な場面にしても「どうだ、この画、すごいだろ~!」というように、画の押し売りをされているように感じて、冷めてしまった。また、強烈な画を提供するにしても、登場人物の心情とリンクしていればいいのだが、寧子の行動はあまりにも突飛すぎた。

・一つのシーンが長く、シチュエーションが少ない

全体的な傾向として、一つ一つのシーンが(無駄に)長い。もちろん、必要があってそのように演出しているシーンもあるかと思うが、その例外もいくつかあった。

(本当は、具体的なシーンを例にしたいけれども、そんな印象に残らない冗長なシーン、覚えてないんだよなあ・・・)

もう一つ、物語が展開されるシチュエーション(場所)のパターンが少ない。

基本的には自宅、カフェ、オフィスの3つの場所で全て展開していくから、パターンが少ないなあ、という印象になるのは仕方がない。恐らく、原作は映画よりも舞台の方が向いているのだと思う。まあ『生きてるだけで~』の原作は戯曲ではないけれど、戯曲を映画化するのは難しいわなこれが。

・屋上のシーン、安堂は必要なのか?

これに関しては完全に個人の好みの問題だけれど、クライマックスである屋上のシーン、安堂が介入する必要ってあるのかな・・・?

安堂は屋上で、「陰で二人の会話を盗み聞きする」→「津奈木に復縁を迫る」→「津奈木に軽くあしらわれる」という感じだったけど、安堂は2人が互いの感情をぶつけた後に介入してくるから、完全に蛇足!

また安堂は最後まで情報・描写が不足していて、なぜこんなに面倒くさい方法で津奈木と復縁しようとするのか、津奈木は安堂をどう思っているのかといった、劇中で繰り広げられる奇妙な行動の原理を解明するような情報提供は一切無いので、全くわけがわからない人物だった。最後のあしらわれかたも雑だし。

というわけで、原作ではどうなのかわかりませんが、屋上のシーンに安堂は要らなかったです!

 

 

 

長いので、ここで一旦区切って、後半は次回です。

くるり『TEAM ROCK』(2001)

ついに雪が積もった。とても寒い。これからどうやって生きていけばいいんだろう、そうだ、音楽を聴こう!ということで『TEAM ROCK』はくるりの3枚目、前作『図鑑』から約1年ぶりのアルバムである。

 

ところで、くるりからは「冬」や「雪」、「冷たい空気感」といったものはあまり感じられない。「冷たい空気感」をもったバンドといえば、まず思いつくのはブラッドサースティ・ブッチャーズ。特に『未完成』、『kocorono』、あとは『NO ALBUM 無題』あたりは冷たく、透きとおった雰囲気がある。また留萌出身というのがたまらなくいい。あとピロウズの『TRIAL』もいい。

バンドの出身地によって、音楽の雰囲気がある程度、定まるのはよくある話で、洋楽だと北欧、そしてスコットランドグラスゴー出身のバンドは「冷たい空気感」をもっている気がする。

アイスランドだとシガー・ロスビョークだろう(どっちもあまり聴かない)。ノルウェースウェーデンのバンドはあまり知らないので北欧だけのディスクガイドがあったらいいんだけどない。噂によると、実はヘヴィメタルバンドが多いらしい。

グラスゴー出身のバンドは数え始めるとキリがないけど、やっぱりティーンエイジ・ファンクラブグラスゴーの代表、という感じがある。ちなみに、グラスゴーの音楽ガイドは出ているらしい。

 

以下、1曲ずつ感想を。

 

1.TEAM ROCK

 ピアノ、ボイスパーカッション、妙なコーラスといろいろ詰め込んだポップなヒップポップ。「ロックチームくるりの かかえる苦悩」とあるように、苦悩ゆえの変化かどうかは分からないが前作『図鑑』とは全く異なる雰囲気のアルバムだな、ということを感じさせる幕開け。

2.ワンダーフォーゲル

 くるりの代表曲であり大名曲。悲しみを乗り越えて無理やり前を向いたとでも言えるような歌詞をピコピコした軽快な打ち込みサウンドに乗せて、爽やかなギターを鳴らしている。

「ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって こんなにもすれ違ってそれぞれに歩いていく」こんな歌詞を書けるのはやっぱりすごい。そして基本的にBPMが変化することのない打ち込みの4つ打ちに「悩ましい僕らも 歩き続ける」、「こんなにもすれ違ってそれぞれに歩いていく」などの歌詞が乗ると、刻まれ続けるドラムの音色に、止まることのない時間・人生、歩き続けるしかないという決心がオーバーラップして、もうこの曲はとにかく最高。

3.LV30

 ポコポコドラム、Aメロのメロディーラインなんかは完全にマイブラの「Only Shallow」である。しかし、マイブラのように強烈に歪んだギター、フィードバックノイズがあるわけではなく 、むしろシタールのような民族音楽っぽい音色がおもしろい。

4.愛なき世界

 ここでマイブラの『Loveless』ならぬ「愛なき世界」という曲名で、「LV30」は確信犯だな、とわかる。キャッチーで聴きやすいけど、サビの歌詞が「四つんばい愛し合うため ひるまない対抗しうるために」って...やはりくるりは一筋縄ではいかない。サビの歌い方は奥田民生っぽい。

5.C’mon C'mon

 このアルバムで最もダンスミュージックというか、当時流行していたダフト・パンクなどに近いテイストの曲。

6.カレーの歌

 ピアノの弾き語り曲。アルバムの中間、中休み的な3分半。

7.永遠

 「C'mon C'mon」と同様、テクノポップ。よくリラックスできそう。

8.トレイン・ロック・フェスティバル

 前作『図鑑』のサウンドを、更にテンションを上げて、激しくした曲。2分程度でまとまっていてよい。次の「ばらの花」への繋ぎの役割も。

9.ばらの花

 「バンドで最も有名な曲」というと、普通はその有名な曲しか聴いていないにわかファンが騒ぎ立てるもので、そのバンドを長く追い続けているファンにとっては「はいはい...またその曲ね...」という気持ちになるものである。しかし「くるりで最も有名な曲」であろうこの「ばらの花」に、飽きるだとか食傷だとか、そんなつまらない思いを抱いているくるりファンはいない、そう断言できる。

10.迷路ゲーム

 ボーカルに柔らかいエフェクトがかかりながら、ゆっくり静かに流れていく曲。テクノでもあり、ピアノを基調とした曲でもあり...

11.リバー

 カントリー調で、ノリがよい陽気な曲。こういった曲が、くるりの本領という感じもする。『図鑑』のラストも「宿はなし」で、アルバムのテイストとは離れた、ポップな曲で締めるのが最近の通例となっている。

 

総評

 鋭いギターサウンドでつんのめっていた前作『図鑑』とは打って変わって、打ち込みを多用したテクノサウンドが基本となっている。

 このアルバムは「ワンダーフォーゲル」と「ばらの花」という2つの名曲を世に送り込んだだけでも価値がある。逆にこの2曲がキャッチーだった分、「C'mon C'mon」や「永遠」、「迷路ゲーム」も悪くはないのだが、だれてしまう印象になる。「春風」や「ハローグッバイ」をアルバムに入れる構想もあったそうだが、結局ボツにしたらしい。確かに、「春風」はこのアルバムの色に合わないだろうな。そして時代は巡り2016年、「琥珀色の街、上海蟹の朝」が生まれるわけだから、くるりとヒップホップの相性はいいのではないだろうか。

 

オススメはこの曲!

 2.ワンダーフォーゲル

 4.愛なき世界

 9.ばらの花

 11.リバー

 

 

youtu.be

くるり『図鑑』(2000)

『図鑑』は1stアルバムの『さよならストレンジャー』以来9ヶ月ぶりに発売された、くるりの2ndアルバムである。

以下、1曲ずつ感想を。

 
1.イントロ

  インスト曲。『さよならストレンジャー』に収録された「虹」のイントロがかかったと思うと高速でテープが戻され、重厚なストリングスとティンパニが響く映画音楽的な様相になってくる。次の曲「マーチ」への助走として、また実験的なこのアルバムの幕開けとしてバッチリ。

2.マーチ

 宇宙的なスライドギターとジェットコースターばりの急激な緩急がついた曲展開、感傷的な歌詞。こんな曲作ってしまうなんて、やっぱりくるりは変態だ!

3.青い空(Album Mix)

 「マーチ」に続きアップテンポに激しい曲。1stでいう「虹」のように、アルバム全体の色を表す『図鑑』を象徴する曲。岸田曰く、当時そういう気分でもなかったのに、「もっとロックっぽいガツンとした曲がほしい」と言われ「わりとイライラしながら」書いた曲。

4.ミレニアム

 これまでの曲調と一転、シンプルでフォーキーな曲。どことなくBECKっぽい。サビのミニマル感がよい。

5.惑星づくり

 インスト曲。ナンバーガールが後にナムヘビで繰り広げたような音響系の音作りが秀逸。プロデューサー、ジム・オルークの趣味全開である。

6.窓

 「僕等は何もしない」と高らかに歌いあげる曲。どこか気の抜けた雰囲気ながらも、コード進行はけっこうドラマティックでセンチメンタル。

7.チアノーゼ

 念仏ボーカルが抑えつけられた狂気を感じさせる、ヘヴィなロックンロール。曲自体はかなり初期から存在していて1997年にカセットテープを出していたらしい。

8.ピアノガール

 ピアノ弾き語り調の静かな曲。メロディーは普通だが歌詞が一筋縄ではいかない。

9.ABULA

 インスト曲。ここまでが前半。「チェック、ワン、ツー」

10.屏風浦

 「ばらの花」のようなキャッチーさはないけど、海岸の情景を思い起こさせるサウンドがいい。

11.街

 ミドルテンポで情念を引きずりながら絶叫する曲。J-POPっぽい馴染みやすいメロディーではあるけれど、そこらのJ-POPと同じにされてたまるか!「夕暮れのスーパーマーケットの前で~」の歌詞はいろいろなところで見かける、くるりの代表的フレーズ。

 この曲も「青い空」と同じく、「わりとイライラしながら」書いた曲。

12.ロシアのルーレット

 ロシアンルーレットを当てたときのようにサビで急に大爆発する曲。「マーチ」よりも「青い空」よりもこの曲が『図鑑』における狂気の到達点である。へんてこリフ、へんてこギターが好きならこの曲は最高だろう。

13.ホームラン

 完全に流れをぶち切るような感じの陽気な曲。陽気な曲調に歌詞が合わずとても皮肉めいている。くるりは「リボルバー」、「ハローグッバイ」など3分くらいの曲を作るのがうまい。 

14.ガロン(ガロ~ンMIX)

 シングルのカップリングだった「ガロン」をスーパーカーのナカコーがリミックスした、10分近くあるプログレチックな曲。ゆっくりとした曲調でダレそうに思うがリズムに乗りやすく聴いていて心地よい。

15.宿はなし

 アルバムの締めは民謡風。このアルバムの色とは全く異なるが、なぜだか違和感はない。いいアルバムだったなあ、そろそろ家に帰るかあ、という気持ちになる。

 
総評

 『さよならストレンジャー』に比べて、ギターサウンドが全面に出て、攻撃的、重層的な音作りが際立っている。歌詞は内向的になり、全方位に喧嘩を売っているような感じ。

 とにかくアイデアが溢れ出て止まらない!ということなのか、1曲1曲に詰め込まれたエネルギーがすさまじく、何でこんな曲作れるんだろうかと思う。プロデュースしたジム・オルークの腕もあり、エネルギーを燃やしつつ焦燥感を漂わせながら、一方で落ち着いたインスト曲やクリーンなギターが響く曲もバランスよく取り入れている。

 このアルバム、正ドラマーであった森が「干された」といえる状態で、15曲中5曲を森ではないサポートドラマーが担当している。バンドの仲は相当悪かったようで、そんなヒリヒリした空気が時代を超えて伝わってきて最高だぜ!

 個人的には、くるりのアルバムの中で(現時点で)一番好きなアルバムであり、特に「マーチ」と「街」だけでもこのアルバムを聴く価値はあると思っている。やっぱり、くるり、すごいわ~

 

オススメはこの曲!

 2.マーチ

 3.青い空

 4.ミレニアム

 6.窓

 7.チアノーゼ

 10.屏風浦

 11.街

 12.ロシアのルーレット

 13.ホームラン

 15.宿はなし

 

youtu.be

スティーブン・スピルバーグ『ブリッジ・オブ・スパイ』(2015)

スティーブン・スピルバーグ監督の『ブリッジ・オブ・スパイ』はアメリカで2015年に、日本では2016年に公開された。この映画、スティーブン・スピルバーグ監督にしては地味な映画で、派手なアクションも爆発も銃撃戦もなく、恐竜もエイリアンも出てこないという、ともすれば退屈と思われる内容である。しかし、会話の密度が濃く、冷戦時代の緊迫した雰囲気がずっと続いていて、まったく退屈しなかった!

 

あらすじ

アメリカとソ連の冷戦のさなか、保険関連の敏腕弁護士ドノヴァン(トム・ハンクス)は、ソ連のスパイであるアベルマーク・ライランス)の弁護を引き受ける。その後ドノヴァンの弁護により、アベルは死刑を免れ懲役刑となった。5年後、アメリカがソ連に送り込んだ偵察機が撃墜され、乗組員が捕獲される。ジェームズは、CIAから自分が弁護したアベルアメリカ人乗組員のパワーズ(オースティン・ストウェル)の交換という任務を任され……。                

「シネマ・トゥディ」より

 

 

※ネタバレ有

ー実話であるという価値ー

 『ブリッジ・オブ・スパイ』を観ていて退屈しないのは、この映画がほぼ実話に基づいて作られているということもひとつの理由であると思う。結論から言えば、弁護士ドノヴァンは、ソ連のスパイであるアベルU2機を爆撃されたアメリカ人のパワーズ、という「1対1」の交換だけでなく、東ドイツで逮捕されたアメリカ人大学生プライヤーも同時にアメリカへ帰還させるという「1対2」の交換を成功させる。この結末に至るまで、ドノヴァンはベルリンのチンピラにコートをカツアゲされたり、なかなかプライヤーの交渉がうまくいかなかったり、いろいろと挫折するポイントはあるけれど、物語は割と順調に進む。この「うまくいきすぎ」とも思える展開でも、実話をなぞっている、という認識があることで不自然だと感じることはない。むしろ、実話を改変して不自然にジェットコースター的な展開を用意することなく、起伏があまり無いながらも物語をしっかりと、丁寧に描いている。

 また、21世紀に入ってもうすぐ20年経つ、という現在に1960年代初頭の冷戦を描くことにもちゃんと意味はあると思う。「第2次冷戦」とは言わないけれど、ともすれば簡単に状況が悪化してしまう、というアメリカ・ロシア間の関係が続いている(と言われている)現在において、映画という手段をもって、しかも実話を用いて両国の歴史を再確認させるところ、価値があるのではないだろうか。

ー人間くさいドノヴァンー

 この映画ですごく魅力的だったのは、主人公である弁護士ドノヴァンの振る舞い。スパイとスパイを交換する凄腕の持ち主でありながら、妻、息子、2人の娘との5人家族の主として、父親らしい一面もあって、緊迫した場面が続くこの映画の中にあってとても微笑ましい。また、ドノヴァン自身、完璧な人間ではなくて、めんどくさがり屋な一面もあり、生身の人間であるという印象を与えている。冒頭、交通事故の損害賠償について相談を受ける場面でも、「5人が損害賠償を求めているんだからこれは5つの案件だ」とする相談者に対してドノヴァンは「One,one,one.」、すなわち、「一つのこととして考えろ!」と諭すのだけど、実は5つの案件をそれぞれに扱うことをめんどくさいと思っているのかと感じる。このセリフは後半、パワーズとプライヤーという2人を同時に帰還させようと行動するなかで、「Two,two,two.」、すなわち、「1つの案件として扱うな、2人がそれぞれ帰還できるようにそれぞれについて考えろ!」と変化するところが実に洒落ているし、パワーズ1人だけでなくプライヤーを含めた2人を帰還させるというドノヴァンの強い信念が伝わってくる。

 そしてベルリンから帰ってきたドノヴァンが家族に迎えられるシーン、ドノヴァンはサーモンを釣りに行くと嘘をついてベルリンに向かったため、家族は父親が命がけでスパイの交換を成功させて帰ってきたことなど知らないわけだけど、ちょうどテレビでそのニュースが流れて知ることになる。みんなとても驚いて、息子(5歳くらい)は「パパはサーモンを釣りに行ったんじゃなかったの?」と。この後、妻のメアリーがドノヴァンのもとに行くんだけど、ドノヴァンはベッドに倒れ込んで熟睡している。このシーン、家族に心配をかけまいと気を遣っていたドノヴァンの愛らしさが溢れてて、「いや~、よくがんばったよ」と心の中でドノヴァンと握手した。

ー寒そうなベルリンの街ー

 本作のリアリティを高めているのが、街の風景である。1960年代のニューヨークの街は、ダンボ(Down Under the Manhattan Bridge Overpass)と呼ばれる歴史地区の実際の街並みで表現されている。また、ベルリンのシーンでは、まさにベルリンの壁を建設中という真冬のベルリンを、とても寒そうに撮影できている。このベルリンの壁、映画のために建設したもので、スケール感の大きな街造りなど、さすが洋画、というところである。

 ベルリンは雪が降って、息も真っ白で、画面越しにも寒さが伝わってくるようだけど、不思議と、陰鬱というよりかは冴えわたった空気感が心地よく、画面が綺麗に感じられる。実はこの映画、全編にわたって画面が美しいのである。例えば、絵を描くのが趣味のアベルが自画像に手を加える冒頭のシーン、暗い画面ながらもニューヨークの雰囲気、時代、アベルの性格など色んなことを読み取れる美しい場面である。

 また、アベルパワーズが交換される場として選ばれたグリーニッケ橋も美しい。これは実際のグリーニッケ橋で撮影されているが、冬の夜の澄みきった空気、暗い水面、そして路面に雪を積もらせているグリーニッケ橋という構図が、物語のクライマックスと相まってとても印象深い。

まとめ

 スティーブン・スピルバーグ監督といえば『ジュラシック・パーク』、『インディ・ジョーンズ』シリーズなど、派手で楽しい、ワクワクする映画を作るというイメージもあるかもしれないけれど、それらとは異なるスピルバーグ監督を発見してみるのも面白いのではないだろうか。(『リンカーン』とかもそう。未見だけど。)

 また、スパイを2国間で(それどころか3国交えて)交換するというストーリー自体も追いやすいから、142分という少しだけ長尺の映画だけど、映画の長さは全然苦にならない。

 何よりも、人間くささを見せつつ立派に信念を貫き通すドノヴァン、スパイでありながらも高い精神性を持ちドノヴァンと互いに信頼し合うアベル、この2人の描写は味がある。そして「standing man」・・・!

 そう、「standing man」である。

 

 

 <<この映画はいろんなサイトでレビューされているので、ちゃんとしたものが読みたい方はそちらをどうぞ!!>> 

 

くるり『さよならストレンジャー』(1999)

さよならストレンジャー』はくるりのファーストアルバムで、1999年に発売された。

以下、1曲ずつ感想を。

 

1.ランチ

 ミディアムテンポのしっとりした曲。ファーストアルバムの1曲目にこういう曲を持ってくる感じが、くるりのどことなく老成された雰囲気を象徴している。歌詞も妙な説得力がある。

2.虹

 初期くるりの名曲。昔話的な歌詞が面白い。サビが突出していないというか、サビ以外/サビという区別なく流れるようなグルーヴが心地よくて大好き。それでいてセンチメンタルな雰囲気というか、歌い方などに青臭さも感じられていい。

3.オールドタイマー

 アルバムの中では異色なアップテンポの曲。歌詞にもあるとおり釣掛駆動の電車のことを歌っている(おそらく京阪電車)。ただアップテンポで駆け抜けるだけでなく、コーラスワークがいい。

4.さよならストレンジャー

 またしっとりとしたフォーキーな曲。サイケフォークっぽい音もある。「さよならストレンジャー」とつぶやくようなサビがとてもよく、解放感がありながら郷愁や諦念がある。

5.ハワイ・サーティー

 インスト曲で、『さよならストレンジャー』~『東京』の橋渡しをしている。これで前半終了。『東京』から後半戦。

6.東京(アルバム・ミックス)

 くるりの大名曲であり、東京に行くとこの曲が頭に流れる、という人も多い(はず)。くるりは歌詞がいい、というイメージもこの曲で定着した気がする。

 「東京の街に出て来ました あい変わらずわけの解らない事言ってます」

7.トランスファー

 シンプルでとてもまとまっている良曲。『東京』に続いて東京を舞台にして歌っている。『オールドタイマー』とこの曲で兄弟という感じがする。

 「嗚呼 薄紅の東京の空は悲しい」

8.葡萄園

 インスト曲。次の『7月の夜』の散歩道の背景として葡萄園があり、暗闇が広がる様子が思い浮かぶ。

9.7月の夜

 まったりとしたバラード曲。夜の散歩道の、落ち着いていると同時にどこかそわそわしている感じ。 キーボードの音色とか拍子の変わり方とか、プログレっぽくもあり、変態くるりの味がよく出ている。一時期この曲を聴きまくっていた。

10.りんご飴

 またバラード曲。サニーデイ・サービスっぽい。遠い夏の思い出のことを歌っている。他のバラード曲と比べてもあまり印象に残らないかな、という印象。

11.傘

 大人しいAメロからサビで爆発するグランジ的な曲。2ndの『図鑑』っぽくもある。

12.ブルース

 バラード曲でありながら展開があり飽きない。あと、出たり入ったりする曲である。曲調は激しくないものの、このアルバムで最も攻撃的な曲かもしれない。9分近くあるが、『ブルース』は前半の6分ほどで、残りは『ランチ』の続きが流れてアルバムを締めくくる。

 

総評

 フルアルバムとしてはファーストという青臭さと、『もしもし』、『ファンデリア』という2枚のミニアルバムに続く3枚目の作品としての腰を据えた感じが同居しているアルバム。シンプルなバンドサウンドと、京都と東京というふたつの街を舞台にした情緒豊かな歌詞を融合させて、ファーストアルバムにして唯一無二のグッドミュージックを生み出している。

 くるりの他のアルバムに比べて癖がなく、聞きやすい作品ではあるが、後半はバラードが連続するため眠くなるかも。

 

オススメはこの曲!

 2.虹

 3.オールドタイマー

 4.さよならストレンジャー

 6.東京

 7.トランスファー

 9.7月の夜

 

youtu.be

 

 

鎌田浩毅『座右の古典』

古典を案内した本はけっこう多いけれど、この『座右の古典』は「とにかく時間がない社会人・特にサラリーマン向けの読書案内」といった感じで、50冊の古典を取り上げてその一つ一つの内容や要点を分かりやすい文章で説明している。

中でも「使える」のが、「3行で要約!」という、要点を限界まで簡潔な形で抽出し、3行で大まかな主張や内容を説明しているもの。「忙しい方はここだけでも目を通していただければ幸いである」と筆者がまえがきで述べているように、ここの部分だけ読んでいっても、50冊の中から自分が興味を持った古典を見つけ出せるのではないかと思う。

 

この本で取り上げられている古典は、『論語』やラッセルの『幸福論』など王道中の王道という本もあるのだけど、岡潔『春宵十話』やフォード『藁のハンドル』など、あまりこれまでの古典案内では見かけなかったような本もあって、自分が知らなかった古典を見つけられるという面白さもある。

古典案内にも様々なクオリティのものがあって、河出文庫から出ている『史上最強の哲学入門』シリーズはとてもわかりやすいし文章も面白いのだけど、『座右の古典』はそれに引けをとらないわかりやすさ、というか「わかりやすさ」だけで比較したら『座右の古典』の方がわかりやすい気がする。その分、抽象化されすぎ、と感じる人もいるかもしれないけれど。

 

この本、もとが経済誌での連載だったこともあって、書かれている対象はあくまでもビジネスマンが中心である。しかし、筆者は京大の教授であるから、大学生であるとか、若い世代が読んでも違和感はないように考えて書いているのだと思う。

だから、時間のないビジネスマンだけではなくて、どの古典を読んでいいか迷っている、時間の有り余る学生にもおすすめ(でも、古典ってなかなか読まないよなあ・・・)。

 

 

村上陽一郎『あらためて教養とは』

村上陽一郎氏といえば、大学入試の現代文で度々出題されて、まあそんなに難解な文章ではないものの散々苦しめられた。去年まで受験生だった身として、正直あまり良いイメージはないのだけど・・・

なぜ今この著書を読もうと思ったのか、これにはちゃんとした理由がある。去年まで通っていた高校にこの夏に赴いたとき、その高校で一番偉い先生と雑談する中で、この本を読んでみるよう勧められたのだ。

 

この本の一番面白いところは、「教養」とは何か、「教養教育」はいかにして誕生、継承されてきたか、ということを説明する中で、古今東西にわたって様々な教養知識が引用されている部分であると思う。

特に面白いのが、「アルゴリズム」の語源がイスラーム世界の数学者「フワーリズミー」だったというもの。イドリーシーやフィルドゥシーは忘れてもフワーリズミーは決して忘れることは無かったくらい「フワーリズミー」って声に出して読みたいアラビア語

 

逆に言えば、筆者が一番語りたかったであろう大正~昭和~平成そして現在にかけての教養論である第四章以降は、あまり語られていることに魅力がなく、読んでも読まなくてもいいんじゃないかと思った。魅力がない、というのは、驚異的な視野の広さをもって教養を語り尽くしていた第三章までに比べて、第四章以降は筆者の思い出話や身の上話が多く、思考が縮こまってしまう感じがした、ということ。

もう一つ、文庫版が出版されたのは平成21年だけど、元の単行本が出版されたのは平成16年だから、もう15年くらい前の書物ということになる。この15年でも「教養」の意味は少しずつ変化していて、本書の内容には、現在の状況と共通して言える部分と言えない部分がある、ような気がした。

 

 

「大学の教養課程では興味の無い授業もとらなければならないのが辛い」と話したところ、この本を勧められたのだけど、きっと僕のことを、教養教育への理解がない今時の大学生だと思っているのだろうし、今度お会いしたときには「僕は決して教養課程が無意味だと言っているわけではありません」と言わなければ。