「願ってやまない」
最近、「願ってやまない」という、よくある言い回しは、「もう諦めている」ことの裏返しなのではないかと思っている。
デジタル大辞泉には
[連語]《動詞「や(止)む」の未然形+打消しの助動詞「ない」》(「…してやまない」の形で)どこまでも…する。…しないではいられない。「御活躍を願って―◦ない」
という解説がある。「どこまでも願う」・・・「願わないではいられない」・・・
実現される願いであれば、どこまでも願い続ける必要はない。
例えば「平和を願ってやまない」のは、平和が永遠に訪れることのないからであって、実際には平和の実現を諦めていないにせよ、非現実的な願いであることは誰だってわかっていることだ。
Eーgirlsの『Smile For Me』という曲にこんな歌詞がある。
ずっと 続けば良いのにねって
願ってやまない 時間(とき)を
一緒に過ごした日々 I`ll be there when you need me
この曲は、このブログを書くにあたって偶然に見つけたものだが、まさに今回言わんとしていることを表している。
いつか訪れる別れを確かに認識しつつ、この楽しい、何もかもが最高な時間がいつまでも続いていってほしい、と願っている(それが不可能であると理解しながら)。
しかし、なぜこんな内容のブログを書こうと思ったのか、一つ理由がある。それは、何年も昔に読んだ小説にあったフレーズを思い出したからである。
米澤穂信の青春ミステリシリーズ『氷菓』の第3弾『クドリャフカの順番』。
学園祭で連続盗難事件が発生し、その犯人を追っていた福部聡志はなかなか犯人を捜し出すことができず、共に捜索していた知り合いから「期待していたんだがなあ」と落胆した声をかけられる。
その直後、側でそのやり取りを見ていた友人の伊原に、福部はこう話す。
「自分に自信があるときは、期待なんて言葉を出しちゃあいけない」
「期待っていうのは、諦めから出る言葉なんだよ」
「期待ってのは、そうせざるを得ないどうしようもなさを含んでいなきゃどうにも空々しいよ」
期待というのは、自分ではどうしようもなくなったときに、目標を達成しうる力を持った誰かに対してするものである、と・・・。