映画『生きてるだけで、愛。』を観たけど・・・という話①

先日、公開されて3週間ほど経ったのちに『生きてるだけで、愛。』を劇場へ観に行った。

この映画を観る前の予備知識といえば、

・原作は本谷有希子である

・監督は劇場長編映画初監督で、これまでは主にCMやMVを撮っていた

・主演は『おとぎ話みたい』の趣里

これくらいのものだけど、ポスターをみる限り良さそうだし、個人的には山下敦弘監督『ハード・コア』や入江悠監督『ギャングース』と共に、11月公開の邦画の中で最も注目していた映画のひとつだった。それゆえに、けっこう期待もしていた。

それに、本谷有希子作品は『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の映画を観て、割と好きだったから、この『生きてるだけで~』もきっと自分に合うだろうと、特に心配はしなかった。

逆にいえば、『腑抜けども~』以外は本谷有希子作品と接したことはなかったのだが・・・

 

あらすじ

生きてるだけで、ほんと疲れる。鬱が招く過眠症のせいで引きこもり状態の寧子と、出版社でゴシップ記事の執筆に明け暮れながら寧子との同棲を続けている津奈木。そこへ津奈木の元カノが現れたことから、寧子は外の世界と関わらざるを得なくなり、二人の関係にも変化が訪れるが……。

                                                                                 (filmarks より)

 

さて、この作品は『勝手にふるえてろ』(の映画)と似た構造を持っている。

「他人と接することが苦手な若い女性が主人公」

             ↓

「挫折したり、ちょっとうれしいことがあったり。そんな中、勇気を出して一歩を踏み出したけど、やっぱりうまくいかない」

             ↓

「クライマックス、感情を爆発させて自分の思いを吐露する」

             ↓

「主人公に寄り添ってくれる根気強い男性と、新しい関係がスタートする」

             ↓

「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」

 

ざっくりいうとこんな感じなのだが、主人公の女性とその恋人の男性、物語の展開などは共通しているように思う。

しかし、なぜ『生きてるだけで~』は『勝手にふるえてろ』のような傑作となり得なかったのか。いや実は、『生きてるだけで~』を傑作として認識している人もいるだろうし、実際のところ、この映画をひたすらに批判するような感想は今のところ目にしていない。なので今回は私が矢面に立つことになった。

 

※以下、ネタバレあり

 

まず、『勝手にふるえてろ』と比較してどうだという前に、この映画だけ観て気になった点をいくつか。

・CM、MVとして観れば綺麗で印象的な場面

この映画、走っている場面が何度かあり、例えば青いスカートが揺れている様子をスローモーションにしたり、走りながら服を脱いだりする。これらの場面は確かに、「MVのカットとしては」美しい。しかし、映画の一場面として挿入されると、何だろう、違和感を覚えてしまうのだ。

映画というフィルターを外してみたときには、あまり画として「強くない」場面が、映画の中の一場面として登場すると、とても印象的になることがある。

『生きてるだけで~』では、「画としては強くないが印象的な場面」はあまりなかった。むしろ「画として強いわけではなく、かといって印象的でもない場面」と、先述の強烈な場面「しか」ないため、映画としてバランスが悪くなってしまったのだ。その強烈な場面にしても「どうだ、この画、すごいだろ~!」というように、画の押し売りをされているように感じて、冷めてしまった。また、強烈な画を提供するにしても、登場人物の心情とリンクしていればいいのだが、寧子の行動はあまりにも突飛すぎた。

・一つのシーンが長く、シチュエーションが少ない

全体的な傾向として、一つ一つのシーンが(無駄に)長い。もちろん、必要があってそのように演出しているシーンもあるかと思うが、その例外もいくつかあった。

(本当は、具体的なシーンを例にしたいけれども、そんな印象に残らない冗長なシーン、覚えてないんだよなあ・・・)

もう一つ、物語が展開されるシチュエーション(場所)のパターンが少ない。

基本的には自宅、カフェ、オフィスの3つの場所で全て展開していくから、パターンが少ないなあ、という印象になるのは仕方がない。恐らく、原作は映画よりも舞台の方が向いているのだと思う。まあ『生きてるだけで~』の原作は戯曲ではないけれど、戯曲を映画化するのは難しいわなこれが。

・屋上のシーン、安堂は必要なのか?

これに関しては完全に個人の好みの問題だけれど、クライマックスである屋上のシーン、安堂が介入する必要ってあるのかな・・・?

安堂は屋上で、「陰で二人の会話を盗み聞きする」→「津奈木に復縁を迫る」→「津奈木に軽くあしらわれる」という感じだったけど、安堂は2人が互いの感情をぶつけた後に介入してくるから、完全に蛇足!

また安堂は最後まで情報・描写が不足していて、なぜこんなに面倒くさい方法で津奈木と復縁しようとするのか、津奈木は安堂をどう思っているのかといった、劇中で繰り広げられる奇妙な行動の原理を解明するような情報提供は一切無いので、全くわけがわからない人物だった。最後のあしらわれかたも雑だし。

というわけで、原作ではどうなのかわかりませんが、屋上のシーンに安堂は要らなかったです!

 

 

 

長いので、ここで一旦区切って、後半は次回です。