「MOOSIC LAB」とこれからの自主映画について

※「インディーズ映画」=「自主映画」として書いています。意味上での差異はありません。

 

2017年のMOOSIC LABで上映され、香港国際映画祭に出品された映画『少女邂逅』(枝優花監督)を先月末、劇場で観ることができた。

日本における2010年代のインディーズ映画を躍進させてきたのは、間違いなくMOOSIC LABというコンテンツであり、この『少女邂逅』はMOOSIC LABを象徴する作品として考えることができると思う。

 

MOOSIC LABは「音楽×映画」をコンセプトとして、作品ごとにアーティストをピックアップし、そのアーティストの楽曲を劇中に取り入れながら、もしくはアーティスト自身が劇中に登場しながら、これまで魅力的な映画を世に送り続けてきた。

音楽といっても、演歌や歌謡曲ではなく、主にコラボするのはインディーズロックバンドやアイドル、若手SSWなどである。言わばMOOSIC LABは、インディーズ音楽たちと共鳴しながら、若手映画監督がいろいろなことをできる舞台を造ってきた。

これまでの、日本の自主映画といえば、PFFぴあフィルムフェスティバル)が先導してきたように思う。PFFでも、スカラシップ制度などにより「PFFの次の一歩」を踏み出せる環境づくりをしてきた。しかし、スカラシップ制度は何年かに一度、それも選出されるのは一人だけであり、また劇場公開を前提として映画を製作することになるから、「次の一歩」としてはハードルが高かった。しかし、現在においては、MOOSIC LABが「次の一歩」を踏み出せる場として機能しているのは大きい。

例えば2017年のMOOSIC LABを『聖なるもの』で制した岩切一空監督は、前年のPFFで『花に嵐』により準グランプリを獲得しているし、同じく2017年のMOOSIC LABで『なっちゃんはまだ新宿』によって準グランプリを獲得した首藤凛監督は、同様に前年のPFFにおいて『また一緒に寝ようね』で審査員特別賞を受賞している。

 もちろんそれ以外の監督も多いけれども、MOOSIC LABが日本のインディーズ映画に新風を巻き起こすことに成功したのは疑いようがないし、それはPFFゆうばり国際ファンタスティック映画祭、東京学生映画祭など、自主映画・学生映画の他のコンペを巻き込みながら、また影響を与え合いながら、新しい才能の作品づくりをサポートし続けている。

 

MOOSIC LABの、他のインディーズ映画祭にはない特徴として、若い女性監督が躍進し続けているということが挙げられると思う。2013年グランプリ『おとぎ話みたい』(山戸結希監督)、2014年準グランプリ『おんなのこきらい』(加藤綾佳監督)、2015年グランプリ『いいにおいのする映画』(酒井麻衣監督)、2016年準グランプリ『脱脱脱脱17』(松本花奈監督)、2017年準グランプリ『なっちゃんはまだ新宿』(首藤凛監督)と、毎年のように女性監督の作品がグランプリや準グランプリを受賞している。それもあってか、MOOSIC LAB作品を上映する映画祭や劇場では、若い女性を多く見かける(これは仙台や札幌の会場での印象だから、本会場である東京では客層も異なるかもしれない)。

なかでも「少女映画の新たな金字塔」と評された『おとぎ話みたい』や、主人公の高校時代とその10年後を展開させ、熱量をもって「青春時代と、その呪縛から逃れられない現在」を描き、新たな手法の青春群像を生み出した『なっちゃんはまだ新宿』など、青春映画として捉えられる作品が多かった。

 それを踏まえると、グランプリ・準グランプリには選出されなかったものの、若い女性監督が少女二人を主人公にした『少女邂逅』はそれらの映画と同様、MOOSIC LABらしい作品であるように思える。

むしろ、『おとぎ話みたい』や『なっちゃんはまだ新宿』と比較すると、『少女邂逅』は音楽とのコラボラーションという要素は薄かったし、MOOSIC LABのもつポップさとは一線を画した、複雑かつ残酷な映画であり、岩井俊二監督の『リリィ・シュシュのすべて』の系譜に連なる作品として、MOOSIC LAB以外の文脈で語られる場面も多いのではないかと思う。

 

ここまでMOOSIC LABに特徴的な女性監督の系譜と、『少女邂逅』はその象徴的な作品であるという話をしてきたが、実は2017年を区切りに、MOOSIC LABは新たな局面に突入している。

「MOOSIC LAB 2018」のパンフレットにある、主宰する直井卓俊、映画評論家の森直人、コラムニスト・アイドル評論家の中森明夫による対談でも語られていることだが、2016年のグランプリ『マグネチック』(北原和明監督)、2017年のグランプリ『聖なるもの』(岩切一空監督)と、直近の2年連続して男性監督がグランプリを獲得しているのだ。『聖なるもの』はポップさを持ち合わせながら、凄まじいエネルギーで鮮烈な映像を次々に観客に提示し、フェチシズムや映画愛を内包させながら爆走した”怪作”であったが、この”怪作”にグランプリを与えたMOOSIC LABは見事だとしか言いようがない。こうして、「MOOSIC LAB=女性監督」というイメージは一新されつつあるのかもしれない(といいつつ、今年の作品を見てみると、『月極オトコトモダチ』や『暁闇』など、女性監督の作品がグランプリを獲るのではないだろうか)。

 

もう一つ、これも対談で語られていることだが、『カメラを止めるな!』の出現が日本のインディーズ映画に大きな変化をもたらすことが予想されている。

2012年から今まで、MOOSIC LABが醸成してきた、若手監督や学生監督のもと、芸術性や実験性が付与された作品群を世に送り続け、商業映画との差異を明確にするという精神性と、『カメラを止めるな!』が実現してみせた、商業映画ではないが、商業映画のような、誰もが楽しめるエンターテインメント性を持ち合わせた映画づくりの精神性とでは、異なるものがある。

そこには、『カメ止め』がインディーズ・商業問わず映画界を席巻した2018年を境に、インディーズ映画界にも「第二のカメ止め」を目指す風潮が生まれるのではないかという危惧がある。別にそれ自体は批判すべきことではないのだが、MOOSIC LABが作り上げた流れが停滞してしまうかもしれない。言わば、3作品が劇場公開を果たした2017年がMOOSIC LABのピークで、それ以降は過去を超えられないかもしれないと...

しかしながら、MOOSIC LABやPFFの作品がもちうる「理解し得なさ」は商業映画にはない大きな魅力である。『カメ止め』は99%の人がその面白さを理解し、多くの人に受け入れられる。一方、たとえば『聖なるもの』はその作品世界を40%程度の観客しか受け入れられないかもしれない。しかし、受け入れた40%の観客にとっては、商業映画では体感することのできない、奇跡的な映画の出現に立ち会ったという感動がある。

『カメ止め』のような、商業的な成功を目指すのならば、MOOSIC LABの作品群の趣向はこれまでとは変化していくだろう。けれども、商業的な成功/失敗という考えにとらわれすぎず、実験的精神のもと音楽と映画の融合に熱意をもってトライし続ける若手監督(いやむしろ、今年『無限ファンデーション』を出品した大崎章監督のように、ベテラン監督の参入もこれから増えていくかもしれない)がいるかぎり、MOOSIC LABはこれからも続いていくのだろう(と願っている)。

 

とはいえ、自分のように東北や札幌に住んでいると、MOOSIC LABの作品を観ることができる機会はわずかしかない。それでも、今年は札幌でも、出品された作品をセレクトして上映した「MOOSIC LAB 2018 SAPPORO」が開催されたし、仙台短篇映画祭では「ムーラボ旋風」と題したプログラムで新作を含む5作品を上映した。これからどこまでMOOSIC LABが存続していくかはわからないが、若手監督の新たな作品発表の場として確かなものになりつつあると思うし、その才能たちが生み出していく映画にこれからも期待を寄せ続けていきたい。